鷹狩りも器が違う!?織田信長の鷹狩りとは!?

昔の人は鷹狩りという遊びをしていたのをご存知でしょうか?その中でも織田信長の鷹狩りは少し変わっているということで知られています。今回は織田信長の鷹狩りについて紹介します。

そもそも鷹狩りって?

鷹狩りというものがどういうものかについて、まずは説明しましょう。「鷹狩り」という言葉だけを見ると、「鷹を狩るのか?」と思う人もいるかもしれません。戦国時代に詳しい人には説明するまでもなのでしょうが、鷹狩りというのは、「鷹を使って獲物を狩る」という狩猟の一種です。

もともと鷹狩りというのは日本で誕生したものではなく、モンゴルが起源ではないかと言われています。その歴史は古く、紀元前2000年や3000年とも言われているようです。中国でも紀元前600年頃に鷹狩りの記録が残っているそうです。

日本では、仁徳天皇の時代に鷹狩りが行われていたという記録が残っているそうですので、それなりに歴史があります。鷹狩りは主に身分の高い人の娯楽として発展してきた文化ですが、戦国時代などは軍事訓練の側面もあったようです。

織田信長の鷹狩りとは?

織田信長は特に鷹狩りを好んでいたということもあり、戦国時代には各地の武将たちがごぞって信長に鷹を献上したという記録も残っています。

そんな織田信長の鷹狩りは少し変わっていました。通常の鷹狩りは、鷹を操る鷹匠と呼ばれる人たちが得物を探し、それを勢子と呼ばれる人たちが追い立て、鷹に得物をとらえさせるという手順で行われます。

しかし、織田信長の場合は20名ほどの鳥見の衆を2人一組にして獲物を探させ、獲物が見つかった場合はどちらか一方が見張りをします。そして、見張りでないほうが信長に報告し、報告を受けた信長は鷹を連れて獲物に近づき、鷹を放って狩りをさせるという手法です。この他にも信長は、確実に獲物を捕らえるためにさまざまな工夫を凝らしていたと言います。

鷹狩りというよりは、戦の訓練に非常に近いのが信長の鷹狩りと言われます。

鷹が大好きだった織田信長

織田信長は鷹がとても好きだったようで、先ほども紹介したように、各地の武将がこぞって信長に鷹を献上していました。そんな信長にもお気に入りの鷹がいたようです。しかしある日、その鷹が逃げて行方が分からなくなってしまいます。

信長は部下に命じて鷹を必死に探させますが、見つかりません。諦めかけたところへ、ある武将が「信長の鷹ではないか?」と行方不明になっていた鷹を連れて現れました。

信長はたいそう喜んでこの武将にさまざまな報償を与えたのだそうです。さらに、領地を没収されていたこの武将の領地をすぐさま復活させたと言われています。

信長の鷹狩りは独特だった!

織田信長の鷹狩りについて紹介してきました。織田信長の鷹狩りについては「信長公記」などでも詳細な記述があり、通常の鷹狩りとは異なる独特の手法をとっていたことが分かっています。

それは信長がスタンダードを嫌う性格だったということもあるのかもしれませんが、鷹狩りを効率の良い兵たちの訓練の場とする信長独特のアイデアだったとも言えそうです。