真田幸村はお酒好きだった?焼酎に目がなかった真田幸村のお酒にまつわる逸話とは?

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大坂夏の陣での勇猛な戦いぶりが後世にさまざまな物語として語り継がれている真田幸村ですが、実はかなりのお酒好きだったことでも知られています。戦国武将には織田信長や徳川家康、明智光秀など、意外と下戸が多いのですが、それとは逆にお酒好きのエピソードが残るのが真田幸村です。真田幸村のお酒にまつわるエピソードについて紹介します!

真田幸村とは

真田幸村は実際の名前は真田信繁というそうですが、後世の創作物などでは真田幸村と称されることが多いようです。真田幸村はさまざまな謀略で有名な真田昌幸の次男として信州に生まれます。兄で真田家の嫡男の真田信之とは、関ヶ原の戦い以降、血を分けた兄弟でありながら敵と味方という形で対立します。

真田家はもともと武田信玄に仕えていましたが、信玄亡き後は織田家に仕え、その後は豊臣家に仕えるなど、時流を見極めながら主を変えていたのが分かります。ただ、関ヶ原の合戦では東西どちらが勝つということが予想できず、徳川家康の家臣の娘を娶っていた長男の信之が徳川家康側につき、父の真田昌幸と真田幸村が豊臣型につくという形で分かれました。これは東西どちらが勝っても「真田家」を残すためだったと言われています。

関ヶ原の合戦はわずか1日足らずで勝敗が決し、真田幸村がついた豊臣型の負けという結果になりました。この時、兄の真田信之が徳川家康に命乞いをしたということもあり、真田昌幸と真田幸村は死罪は免れ、和歌山の九度山での長い隠遁生活が始まります。

関ヶ原の戦い後に九度山で隠遁生活

九度山での隠遁生活を送る前に、真田昌幸と真田幸村は最初は高野山にある蓮華定院に入りますが、当時の高野山は女人禁制です。ですので、妻たちは皆、麓の九度山にとどまりました。その後真田昌幸と真田幸村も許されてに九度山に行き着いたと言われています。

九度山は現在も和歌山県にその地名が残っていますが、高野山の麓にあり、当時もかなりの山里であったとされています。

九度山での生活はかなり困窮していた

九度山には流罪という形での隠遁生活でしたので、真田昌幸と真田幸村親子の生活はかなり困窮していたとも言われています。ただ、生活の自由は保障されており、日中は狩りを楽しんだり、付近の町を行き来するなどのことは許されていたようです。

また、二人とも性欲旺盛だったということもあり、九度山では多くの妾を作り、子供もたくさん生まれたと言われています。ちなみに真田幸村は正妻や側室などを連れてきましたが、父の真田昌幸は九度山に側室を連れては来なかったようです。

真田昌幸はたびたび長男の真田信之に金の無心をしていたとも言われています。真田信之とその妻の小松姫からは定期的に仕送りは来ていましたが、真田昌幸は金遣いが荒かったのだとか。そのために、九度山での生活が困窮してしまっていたという情報もあります。

真田幸村は兄の家臣に焼酎を無心していた

真田昌幸が生きていた頃には、父の奔放ぶりのほうが注目を集めていましたが、その父も隠遁生活中に死を迎えてしまいます。父の死後、真田幸村の生活はさらに苦しくなったと言います。それは、真田幸村が次男であったために、父の死後、父に仕えていた多くの家臣たちが故郷へ帰ってしまったからなのだそうです。

真田幸村の元には妻や妾、僅かな家臣だけが残り、生活はさらに困窮したのだそうです。そこで、真田幸村が頼りにしたのも兄の真田信之だったそうです。真田幸村は兄の家臣にたびたび焼酎を入れる大きな壺を送り、これにたっぷりと焼酎を注いで送り返して欲しいと訴えています。

そして、「しっかりと目張りをして絶対に零れないように」という事も付け加えており、零れる焼酎でさえ惜しいという真田幸村のお酒好きっぷりが伝わってきます。当時の焼酎はかなりの高級品だったようですので、一滴でも零れたらもったいないと真田幸村は考えたのかもしれません。真田幸村が家臣に書いた手紙には「どうか焼酎を送ってください」と懇願するような文言があったのだとか。これに同情したのかどうかは分かりませんが、家臣は送られてきた壺にたっぷりと焼酎を注ぎ、九度山へ送り返したのだそうです。

真田幸村はお餅も大好きだった

真田幸村は焼酎のほかにも、故郷の信州の名物であるお餅も大好きだったようです。その餅は「こねつきもち」というものなのだそうですが、この「こねつきもち」を、関ヶ原の合戦前に兄の真田信之が弟に持たせたというエピソードが残っています。この時が、兄弟の最期の面会だったようです。

真田幸村は家臣に懇願するほどの焼酎好きだった

お酒が好きだったという逸話が残る真田幸村について紹介してきました。真田幸村が愛したお酒は、当時よく飲まれていた濁酒などの酒ではなく焼酎だったようです。この時代の焼酎はかなり高価だったために、九度山での隠遁生活を送る真田幸村は、焼酎を手に入れるのに苦労していたようです。兄の家臣に懇願してまで真田幸村が焼酎を手に入れようとしていた手紙が現在も残っており、真田幸村は酒好きの武将であるという認識がなされているようです。