天下一気が短い武将?嫉妬深さも天下一?細川忠興の重すぎる愛とは?

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天下一気の短い男と言われた細川忠興ですが、妻の細川ガラシャに対してもかなり重い愛を向けていたという話もあるようです。戦国時代を息抜き、江戸時代にもその勢力を誇ったとされる戦国武将の細川忠興の気の短さや嫉妬深さについて調査しました。

細川忠興とは

細川忠興は剣豪将軍として有名な足利義輝に仕えた細川藤孝の長男として誕生しました。主君であった将軍・足利義輝が永禄の変で殺害された後は、父の細川藤孝とともに足利義昭を将軍として擁立しますが、義昭が信長と対立してしまった際には細川親子は織田信長への臣従を誓ったそうです。

細川藤孝の初陣は15歳の頃、織田軍の一員として紀州攻めに加わり、同じ年の松永久秀や三好三人衆を相手にした信貴山城の戦いにも参戦しているようです。この功績を受け、細川忠興は父の細川藤孝とともに織田信長から感謝状を受け取りました。細川忠興が元服したのはこの翌年のことで、織田信長から偏諱を受け「忠興」と名乗るようになったそうです。

本能寺の変で信長が死亡すると、細川親子は豊臣秀吉に臣従します。この時細川忠興は秀吉から羽柴姓を与えられ七将の一人として数えられたのだとか。しかし豊臣秀吉が死亡すると、関ヶ原の戦いでは徳川家康の誘いに乗って徳川家に臣従するようになります。最終的には細川家は 肥後熊本54万石の領主として加増され、江戸時代にも生き残った武将の一人として名を残すことになります。細川忠興はこの時代にしてはかなりの長寿で83歳まで生きたと伝えられています。

気の短さで有名だった細川忠興

細川忠興といえば、「気の短さは天下一」という表現が残っているほどに気が短かったとも言われています。この気の短さが災いして、忠興はたびたび父や兄弟たちとも不和になってしまったことがあるのだとか。丹波平定の際には明智光秀から「無抵抗の者を殺してはならない」とわざわざ諭されたという逸話も残っているそうです。

味方にも容赦がなかったという細川忠興は、いったん裏切った元の仲間を皆殺しにするなどのことも行っているようです。ただ、忠興も年齢と共に少しずつ性格が円くなっていったと言われており、徳川家の2大将軍秀忠に対しては、事細やかに施政者としての心得を説いていたというエピソードも残っているようです。

また、細川忠興は非常に筆まめな人であったことでも知られており、生涯に書いた手紙の数は1820通にも及ぶと言われています。そして、その手紙の宛先の大半は息子で後に熊本藩初代藩主となる細川忠利宛だったとされています。

細川忠興の妻は細川ガラシャ

細川忠興の妻は細川ガラシャの名前で知られる珠子です。この珠子は明智光秀の娘でたいそう美しかったとも言われています。父の明智光秀も大変な美男であったことでも知られており、明智家は基本的に美形の家系であるとも言われています。先ほど紹介した細川忠興の息子の細川忠利は、この細川ガラシャが産んだ子供であることも有名な話です。

細川ガラシャという名前は洗礼名で、熱心なキリスト教徒であったことでも知られています。細川ガラシャがキリスト教を信仰するようになったきっかけは、忠興が高山右近から聞いたキリスト教の話を伝えたことがきっかけとされていますが、なぜ洗礼を受けるほどに信仰をするようになったのかについての詳細は判明射ていないようです。

細川忠興の妻への重すぎる愛とは?

細川忠興は非常に気が短い上に嫉妬深いことでも有名でした。妻の細川ガラシャに対しても、常軌を逸していると思えるほどの嫉妬を向けたエピソードがあります。

あるとき、庭師が細川ガラシャに目をとめ、家に仕えるものの礼儀としてお辞儀をしたのだそうです。その瞬間に細川忠興は「妻を見た」と庭師を咎め、斬り殺してしまったのだとか。そして、その庭師を斬った刀を細川ガラシャの着物で拭いたという逸話が残っているそうです。

この時、普通の女性ならば悲鳴でもあげるところですが、細川ガラシャは身じろぎもしなかったのだとか。さすがに夫の細川忠興も「蛇のような女」と告げたそうです。それに対して細川ガラシャは「鬼の女房には蛇が似合う」と返したそうです。

また、関ヶ原の戦いの際に石田三成の軍に捕らえられた細川ガラシャは、忠興の家臣によって殺されますが、これも忠興が日頃から自分の留守中に妻の名誉に傷が付く可能性が生じた場合は、「妻を殺してお前も死ね」と家臣に行っていたからなのだそうです。細川ガラシャはキリスト教徒でもカトリックの教徒でしたので、忠興の家臣に襖を介して胸を貫かせ、その生涯を閉じたと言われています。

細川忠興は妻ガラシャを愛していた

家臣に容赦なく妻を殺させた細川忠興ですが、その愛はひと一倍深かったとも言われています。細川ガラシャは関ヶ原の戦いで亡くなってしまいますが、その後も忠興は細川ガラシャ以外の正室を迎えようとはしなかったそうです。二人は美男美女の夫婦と言われていましたが、忠興にとっては唯一無二の正妻であったということなのでしょう。

細川忠興は嫉妬深く気も短いが愛ある武将

天下一気が短く嫉妬深いと言われた武将・細川忠興について紹介してきました。確かに若い頃の細川忠興は気が短く、身内ともたびたび不仲になるほどだったようです。そして、妻の細川ガラシャに対してもその嫉妬をむき出しにしたことがたびたびあったようでもあります。ただ、細川忠興は側室は数多くあったものの、正妻は細川ガラシャ死亡以降も迎えていなかったり、2代目将軍の徳川秀忠に対しても、事細かなアドバイスを送っていたことでも知られています。まさに細川忠興は気が短く嫉妬深くても愛がある武将と言えるのかもしれません。