織田信長が第六天の魔王と呼ばれるワケは?ある有名武将との手紙のやりとりがきっかけだった!?

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織田信長は「第六天の魔王」や「魔王」などと呼ばれることがあります。このニックネームはいったい何に由来しているのでしょうか?実はある有名武将との手紙のやりとりがきっかけだったという説があるそうです。織田信長の「第六天の魔王」の由来について紹介します!

織田信長とは

織田信長は戦国武将の中ではもっとも有名な武将であり、ゲームや小説、映画、大河ドラマなどにもよく登場します。戦国武将の中でももっともカリスマ性が高いのが織田信長と言われています。織田信長のもとからは、豊臣秀吉を始め、森蘭丸や明智光秀、前田利家、柴田勝家など、数多くの戦国武将が誕生しました。織田信長は性格に問題があるという説もありますが、才能ある武将を見つけて育てるのが上手かった人なのかもしれません。

第六天の魔王とは?

第六天の魔王というのは、ファンタジー小説に出てくるような魔王ではなく、実は仏教の物語に出てきます。宗派によって多少の解釈の違いはあるようですが、第六天の魔王というのは、仏道修行を妨げようとする悪魔のことをさすそうです。当時の仏教には天台宗の宗教観が大きく影響していましたが、この天台宗が掲げる十界論というのが元になっています。

この十界論では、下から地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界までの六界を「六道」としており、この「六道」は凡夫の迷いから抜け出せない世界ということになっています。この上に「四聖」というものがあり、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界がありますが、「四聖」は悟りの境地とも言われています。

問題は「四聖」の前の「六道」ですが、これには「天界」がありますが、これは天上界の一部で欲望から逃れられない部分で「六欲天」と呼ばれています。この「六欲天」の天主大魔王が第六天の魔王と呼ばれる存在です。仏教ではこの第六天の魔王を分かりやすく、仏法に敵対する者と位置づけているようです。

比叡山などを容赦なく焼き討ちにした信長

戦国時代の日本では仏教が熱心に信仰されていましたが、織田信長はそれほど熱心に仏教を信仰していなかったと言われています。現に父の葬儀の際には、位牌に抹香を投げつけるなどの行為を行っており「尾張の大うつけ」などとも呼ばれていました。さらに信長は、当時権勢を誇っていた比叡山の延暦寺の焼き討ちを命じたことでも知られています。この時、多くの僧侶が惨殺されたという記録も残っているそうです。

第六天の魔王は武田信玄との手紙のやりとり?

第六天の魔王と信長が呼ばれるようになったのは、武田信玄との手紙のやりとりがきっかけなのではないかという説があるそうです。この手紙のやりとりというのは正確にその書状が残っているわけではないそうです。ただ、武田信玄は仏教の信仰が厚く、比叡山の焼き討ちなどを行う信長に対して、皮肉とも取れるような書状を送ったのだとか。その際に差出人として自分の名前を「天台座主沙門信玄」と認めたのだそうです。当時の天台宗の座主がいたのはまさに比叡山でした。

この書状は信長が比叡山の延暦寺への焼き討ちを行ったことに抗議するものだったようです。ですので、「天台宗を敵に回すということは、武田信玄を敵に回すこと」という意味で武田信玄はそのような署名を行ったのかもしれません。対する信長は返事の手紙に「第六天魔王信長」と署名して返したと言われています。信長は他の書状などでもユーモアセンスに溢れることで知られていますが、この「第六天魔王信長」という署名も、信長なりのユーモアだった可能性もあるかもしれません。

キリスト教の宣教師の報告書に証拠が?

この書状は実際のものが残っているわけではなく、複製が残っているわけでもありません。ただ、当時のキリスト教の宣教師が送った上司への報告書に、織田信長と武田信玄の間でこのような書状のやりとりがあったという記述があったのだそうです。この報告書を送った宣教師はイエスズ会宣教師ルイス・フロイス、そして報告書を受け取った上司が 日本布教長であったフランシス・ガブリエル です。

この当時は戦国時代ということもあり、武将達の力関係というのは、宣教師たちにとっては重要な情報であったと考えられます。そのために、こうした書状の署名ひとつにしても事細かに報告をしていたという可能性がありそうです。

ちなみに、信長が焼き討ちを行った比叡山延暦寺ですが、この時の天台座主の弟が武田信玄に保護されていたそうです。武田信玄としては、信長を攻める口実と天台宗へ恩を売ることに成功したと考えていたのかもしれません。ただ、武田信玄は戦国時代の比較的初期に他界しており、その寿命を全うするまでに織田信長と本格的な戦をしたことはなかったようです。

信長自身が第六天の魔王と名乗ったかどうかは不明

現在はゲームや小説でも「第六天の魔王」の異名で知られる織田信長ですが、実は信長自身が名乗ったという証拠はありません。書状に「第六天の魔王」を使用したという記録が残っているだけで、実際にその書状が残っているわけでもありません。しかし、織田信長と聞いて「第六天の魔王」というのは想像がしやすく、まるで当人がそう名乗っていたかのように伝聞されているものと考えられます。