織田信長はアレが怖かった!?織田信長が恐れたものとは!?

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織田信長といえば、第六天の魔王などと称され、怖い物知らずのようなイメージがあります。しかし、織田信長が怖かったものがあるのだとか。織田信長はいったい何を恐れていたのでしょうか?織田信長が怖かったものについて紹介します。

織田信長とは?

織田信長は戦国時代を代表するといっても良い武将で、幼名を吉法師といいました。信長は尾張国の大名の息子として生まれましたが、当時は織田家の中でも内紛があるような状態で、父の死によって16歳で家督を継いだ信長は、若い頃、とても苦労したようです。その後、数々の有名武将を見いだし、育て上げ、やがて天下人となりました。しかし、あと僅かで天下統一というところで、部下の明智光秀の裏切りにあって本能寺で49年の生涯を閉じたと伝えられています。

信長が怖がったのは堺の妙国寺にあったあるもの

織田信長は「第六天の魔王」というニックネームでも知られていますが、この第六天の魔王というのは、仏の敵という存在でもあります。つまり、神をも恐れぬ信長ということになります。実際に、信長は父の葬儀の際に位牌に抹香を投げつけたという逸話もあります。その信長が怖がったものがひとつだけあると言われています。それは神でも仏でもなく、ある植物だったのだとか。その植物は、現在の大阪府堺市にある妙国寺というお寺にあったものなのだそうです。

当時妙国寺には南の国から運ばれてきたという「ソテツ」が植えられていました。南国の植物はとても珍しいということで話題になっていたそうです。信長の居城は当時は安土桃山にありましたが、たびたび堺を訪れていたのだとか。そして、妙国寺のソテツの噂を聞いたのだそうです。信長は珍しいものが大好きなので、さっそくそのソテツを安土桃山城へ持って帰ることにしました。

珍しいそれを安土城へ持って帰ると・・・

堺の妙国寺で大変珍しいと話題になっていたソテツを安土桃山城に持って帰った信長ですが、すぐに異変が起こったのだそうです。夜になると妙な声が聞こえるというので、信長は小姓の森蘭丸に調べさせたのですが、何と、ソテツが「堺に帰ろう」と言って泣いていたのだそうです。

信長は大変気が短いことでも有名ですが、この時も最初は激怒し、部下に命じてソテツを切らせたそうです。それでソテツがおとなしくなるだろうと考えた信長ですが、ソテツの切り口からは鮮血が溢れ出したのだとか。さらに、まるで生きているものが悶え苦しむように、ソテツが悶絶したのだそうです。

さすがに信長も怖がった!?

この出来事はさすがに信長をも怯えさせたようでした。このまま放置してはたたりが起こるのではないかと考えた信長は、すぐさまソテツを堺の妙国寺へ返還したのだそうです。妙国寺に戻ったソテツは弱り切っていましたが、 日珖という僧侶が法華経を1000部読誦したところ、宇賀徳正龍神が現れ、鉄分のものを与えるようにとアドバイスしたのだとか。

名前の由来は信長のエピソードから

アドバイスの通りに鍛冶屋に鉄くずを根元に埋めさせると、枯れかけていたソテツが蘇ったのだそうです。このソテツには当初は名前がなかったそうですが、この出来事によって「蘇鉄」と命名されたのだとか。現在もこのソテツは妙国寺にあり「大蘇鉄」として国の天然記念物に指定されているのだそうです。

安産祈願が絶えない妙国寺のソテツ

ソテツに鉄分を与えるようにとアドバイスをした宇賀徳正龍神が、ソテツが見事に復活すれば「男の険難と女の安産を守ろう」と告げたのだとか。その伝説を信じる人たちが多く訪れ、ソテツの根元に鉄くずを埋めて安産を祈願したのだそうです。現在の妙国寺は、安産を始め、金運や財運、健康運、長寿運などさまざまな御利益があるとされ、参拝に訪れる人が後を絶たないそうです。

妙国寺へのアクセス

住所:堺市堺区材木町東4-1-4
拝観時間:10時~16時(年末年始定休)
拝観料:大人400円、子供200円(15名以上は要予約)
アクセス: 阪堺線妙国寺前駅徒歩5分(駐車場もあり)

織田信長さえも怖がったのは妙国寺のソテツ

神仏をも恐れることがなかったと伝えられる信長が唯一怖がったものとして伝えられているのが堺の妙国寺のソテツです。このソテツは現在大蘇鉄として天然記念物に指定され、樹齢は1100年となるそうです。堺にある仁徳天皇陵は世界遺産に認定される可能性が高くなっていますので(2019年6月4日現在)、仁徳天皇陵とともに、妙国寺のソテツを見に行って織田信長を偲ぶのも良いかもしれませんね。